2度の身代わり~お雛様が引き受けた見えない厄~

壊れた雛人形と、無事に届いたお雛様のイメージ写真
目次

はじめての桃の節句に起きたこと

長女が生まれて迎えた初めての桃の節句。

両親が贈ってくれたお祝いの雛人形が、デパートから我が家に届けられました。

玄関で箱を開け、ひとつひとつ丁寧に確認していたそのとき
思わぬ光景が目に飛び込んできました。

なんと、お雛様の首が折れていたのです。

三人官女や五人囃子は無傷なのに、女雛だけがぽっきりと首が取れている…。

デパートの男性と私は、言葉もありません。
その場の空気が一瞬、静まり返ったのを今でも覚えています。

2度目に届いた人形も…

後日、新しい雛人形を届けてくれました。

今度こそはと慎重に箱を開け、中身を確認します。
ところが、またも驚きの事態が起きました。

今度は、お雛様の顔が崩れて欠けていたのです。

新品のはずなのに、まるで何かを引き受けたかのような姿。
ふと、「身代わり」という言葉が頭に浮かびました。

3度目に届いたお雛様の表情

3度目に届けられた雛人形は、ようやく無傷の綺麗な姿でした。

首も折れていない、顔も崩れていない。

その表情は、穏やかで優しく、まるで「もう大丈夫だよ」と語りかけているかのようでした。
まるで、これまでの厄をすべて引き受けきった後の安堵を湛えているかのようでした。

私は感じたのです。
この出来事は、偶然ではなく、目に見えない存在が娘を守ってくれていたのかもしれないと。
昔から、人形や動物は人の代わりに厄を引き受けると言われますが、
まさにそれを目の当たりにしているようでした。

桃の節句のたびに思い出す、不思議で、見えない存在への感謝の記憶です。

「身代わり」というエネルギーの法則

人形や動物が引き受けるもの

「身代わり」という現象は、見えないエネルギーの転移や代償のような仕組みが働いているように感じます。

人形や動物が身代わりになるとき、
その存在は「器」や「媒介」として、
持ち主の不運や災厄、病気のエネルギーを引き受けているのではないでしょうか。

彼らは無意識に持ち主と結びつき、代わりに負担を背負うことで、その人を守ります。

これは、私の持論ですが、
人形や動物は「純粋な存在」であり、
自己主張や抵抗がないからこそ起こるのかもしれません。

無条件の受容。
その性質が、エネルギーを引き受けるための大きな鍵なのでしょうか。
科学では解明できない不思議な現象はたくさんあると思います。

人が人の「身代わり」になることはできるのか?

一方で、人が人の身代わりになることは難しいように感じます。

なぜなら、私たち人間は自我を持ち、無意識に自分を守ろうとするから。
本能的に生存していくことが優先になっていると思います。

他者の不運や病気を完全に引き受けることは、本能的に難しいのではと思います。

たとえ強い共感や同情があっても、
それは「身代わり」ではなく、「共鳴」に近いものかもしれません。

もし、人が人の厄を引き受けるとしたら

それでもなお、人が誰かの不運を引き受けることがあるとしたら、
それは魂の契約や、深い霊的な縁が関係している場合に限られるのではないでしょうか。

たとえば、
親が子どもを守るために、無意識に病気や不運を引き受ける。
または、長い因縁のなかで、愛情や償いを込めた代償的なエネルギー移動が起きる。

こうしたとき、「身代わり」のような現象が静かに起こることもあるのだと、私は思います。もちろん、真偽のほどはわかりません。


見えない世界のやさしさを信じて

身代わり現象は、エネルギーの「引き受け」と「解放」が働いている、
この世界の不思議な法則のひとつ。

目に見えないけれど、たしかに存在する守りのかたち。
それを、あの雛人形たちは教えてくれたように思います。

皆さんも身近でこのようなことがありませんでしたか?

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